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ドラゲーライヴ Vol.1

ドラゲーメインのプロレス観戦記ブログです。

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マグナムTOKYO・・・

とりあえず最初に公式サイトの発表を引用。

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 株式会社ドラゴンゲートでは、4月9日(月)神戸本社にて記者会見を開催し、マグナムTOKYO選手の退団を発表致しました。
 
 同選手は、昨年8月に開催された名古屋国際会議場大会において、試合中に「左目眼下底骨折」を発症し、その後欠場を続けておりました。この負傷の他にも、体調不良に伴う長期の欠場を余儀なくされており、その理由から兼ねてより団体に対し引退を申し入れておりました。しかしながら、会見に同席した岡村隆志社長は、これを留意。「限りなく引退に近い退団」と、同選手の今後を慮りました。
 また、マグナムTOKYO選手は、今後について「当面のところ白紙」とコメントしております。
 
 この場を借りて、ファンの皆様へご報告と代えさせていただきます。

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この発表から判断すると、マグナムは体がボロボロのために引退するということ。
とはいえ、健介や高山が復帰して、小橋が復帰へ向けて動いていることを考えると体調だけの問題では無いのかも知れない。
やっぱり精神的な面が大きいのかな。
前にも、一度長期欠場をとったことがあったしね。


とりあえずマグナムの簡単な年表を
99年 闘龍門1期生として日本逆上陸
       正規軍のリーダーとしてC-MAX、M2Kと抗争

02年 第2回エルヌメロウノ準決勝でSUWAに敗れるも、M2Kの援護もあり優勝を果たす。
       その後M2Kのリーダーに就任。
       そして、ユニット名をDo Fixerに変更。

03年 神戸ワールド記念ホールでCIMAからUDGタイトルを奪取

04年 博多スターレーンでSUWAに敗れてUDG陥落

05年 Do Fixerのリーダーを斎了に譲る

06年 IJタッグトーナメントで眼窩底骨折

07年 公式ページにて退団が発表


闘龍門旗揚げからエースとして君臨し、TOKYO GO!の音楽とともにダンス付きの入場シーンは闘龍門名物。
一番好きな頃は、正規軍の時じゃなくて、M2KやDoで活動してるヒールの時で、唾吐き等相手を小(大)馬鹿にしたような態度とマイクはすごい似合ってた。
必殺技はAVスタープレスや腰振りフランケンシュタイナー。
でも個人的にはマグナムのラ・ケブラーダが一番好き。
セカンドロープではなくて、トップロープから飛ぶことによって滞空時間が長く、飛んでる姿も綺麗。
CIMAのトルニージョよりマグナムのケブラーダの方が好きだったかな。


神戸ワールドでUDG王座をCIMAから奪取以降は、アラケン、ミラノと防衛を重ねて博多スターレーンでSUWAに破れる。
この中でミラノとのUDG選手権試合は、両選手共に技を出し切り、最後は絶縁からのAVスタープレスで防衛に成功したベストバウト。
試合後はミラノに攻められて、肩から上にあがらないほど痛む腕でもダンスで締めたマグナム。


闘龍門からドラゲーに変わってからは、王座戦線には絡まずに独自路線を貫き、天龍を顧問として招聘し、それまでの空中戦が華やかな闘龍門のプロレスからは一線を画したチョップや張り手を主体としたプロレスを進め、もっちー・フジイさん・神田さんとルネッサンスを結成。
ただ、個人的にはこの時点でドラゲーの中では浮いているような印象もあったかな。
やっぱり当時のメインストーリーはブラッドであり、マッスルであり、CIMAだったし。
闘龍門時代に2大エースとして君臨したCIMAとは、ドラゲーになって以来絡むこともなくメインストーリーから退いていったのは残念。
闘龍門からドラゲーに変わった神戸ワールドではCIMAはマグナムのことを"兄貴みたいに思ってるよ"と言ってたけど、目指すプロレスの方向性が交わることは無かったみたい。
そして引退の契機となった眼窩底骨折は、そのCIMAのチョップが原因だったのも皮肉な話。


闘龍門からDRAGON GATEに成長するまでのマグナムの影響は計り知れないくらいに大きい。
そして神戸の1インディー団体をメジャー団体にもひけをとらない人気団体に育て上げた手腕は評価されてしかるべし。
もちろん人気団体に押し上げた要因は、ウルティモ校長のシナリオが秀逸であり、1人1人のレスラーのポテンシャルも高かったことは言うまでもないけど。
ただ校長色を無くして、ドラゲーになってからは退団者が続出。
SUWA・TARU・ミラノ・悪冠一色・三島・谷嵜と。
内部の理由は推測しかできないけど、経営上・団体運営上の意見対立があったんやろうね。
個性が強い存在だったのは、外部のファンから見てもすぐに分かるほどだったし。
谷やんのブログにも書いてるけど、敵も多いけど味方も多い人だったというのはうなずける話。


今までの退団者の中でも、SUWAさんは岡村社長と並んで記者会見を行ってるし、ミラノは神戸サンボーホールで退団の経緯を自らの口で説明、TARUさんはチキンジョージのリング上でC-MAXの解散宣言と共に退団を発表した。
悪冠一色は解雇ということだったので、公式な会見は無かったけど、マグの場合は解雇ではなく退団。
それならば、マグナム本人がリング上でファンに対して説明してほしいと思うのが、普通のファンの感情。
エルドラドでエル・ブレイザーが退団した後、ブログ上ではBATAやんの対応に関しての非難轟々だったけど、今後は岡村社長の対応も注目されることになる。
そして円満退団であるなら、今は復帰してるけど闘龍門時代の神田さんみたいな引退試合をしてもいいと思うねんけどね。
マグナムTOKYOってそれだけの功労者なんだし。


長々とりとめのない文章書いてるけど、とりあえず本人の口から発表してほしいということが言いたいだけで、これだけ長い文を書いてるのも効率悪いなぁ。
今後は天龍顧問の立場はどうなるか?
既にドラゲー内では薄くなってる気もするし、天龍自身もハッスルの方に重点を置いてるように見えるしね。
とりあえず公式サイトでこれ以上の発表がないなら、次の後楽園ホールでなんらかの発表をすると思うけど。





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