ドラゲーライヴ Vol.1

ドラゲーメインのプロレス観戦記ブログです。

Kzy Story Vol.2

Kzy Storyのその2です。
ベビーターンしたKzyが変化していく過程になります。






2014年12月、福岡国際センターで行われたフラミータ対パンチ富永のブレイブゲート戦において、パンチ富永がフラミータのマスクを剥がした結果、フラミータは防衛に成功しましたがベルトを固辞してメキシコに帰国してしまいました。
そこで空位となったブレイブゲートの新王者を決定するためのトーナメントが開催され、決勝戦には新世代のワンダーキッド・Eitaが勝ち上がり、Dr.マッスルと対戦しました。
Dr.マッスルはEita相手に勝利を収めましたが、以前Dr.マッスルがベルトを獲得した時と異なり、マスクを取らず、ベルトを返上することもありませんでした。
しばらくの間、ファンは新ブレイブゲート王者Dr.マッスルの中身が誰なのか分からないままでした。
(注:2008年に吉野正人がDr.マッスルに扮してブレイブ(ガンマ)ゲート戦に勝利しましたが、吉野は試合後にマスクを取り、ベルトを返上しています)




その答えは多くの人々を驚かせました。



その場面を振り返ってみます。
舞台は2015年1月15日の後楽園ホール大会。
メインイベントではミレニアルズ(T-Hawk&Eita&U-T&ヨースケ・サンタマリア&琴香&林悠河) vs マッド・ブランキー(YAMATO&サイバー・コング&CIMA&Gamma&K-ness.&Dr.マッスル)の6対6が行われ、Dr.マッスルはマッドブランキーの一員でした。
試合はDr.マッスルがパウダー攻撃をCIMAに決めると、KotokaがCIMAから3カウントを奪いアップセットを起こしました。
Dr.マッスルの行動に観客は衝撃を受け、マッド・ブランキーが怒りを示すと、Dr.マッスルはマスクを脱ぎました。
そこに現れたのはKzyでした。
そしてKzyは長年の友人B×Bハルクの居るベビーフェイスのユニット、ディアハーツに加入します。
「Dr.マッスル=Kzy=ディアハーツ新メンバー!~1.16 東京・後楽園ホール~」


彼は変わりました。


3年前のあの日以来、Kzyは変わることを止めず、進歩し続け、多くの人が決して出来ないと思っていたことを覆してきました。
Kzyは短い期間で戸澤陽にブレイブゲートを奪われてしまいましたが、彼は自分の中に沸き起こった炎を消すことはありませんでした。
数々の敗戦や挫折を糧にして、より強く、より逞しく、自分自身を進歩させてきました。






ベビーターンから約1年後、Kzyは注目されるようなパフォーマンスを見せました。
それはハイペースで激しい試合となったディアハーツ対ヴェルセルク対モンスターエクスプレスの敗者ユニット解散マッチでのことです。
Kzyは我々の目の前で花開きました。
彼は狂人のように、ラストマッチのように、そして地球最後の日であるかのようにリングを縦横無尽に駆け回りました。
彼は今まで見せていなかった底力で何度も何度も立ち上がりました。
それはドラゴンゲートがこれまで隠していた最も素晴らしい秘密のようでもありました。
しかしその日、Kzyの奮闘は十分ではなく、YAMATOによって奈落の底へ突き落とされてしまいました。
それはディアハーツの終わりでもありましたが、必ずしもKzyの終わりではありませんでした。
Kzyのような大きなハートを持っていれば、心が折れない限り決して終わりではありません。
ディアハーツの敗北は壊滅的な結果をもたらしましたが、Kzyにとっては新たな自分を作り出すチャンスにもなりました。
彼はこの悔しさを自分を変える原動力としました。







その後行われた5月の愛知県体育館・DEAD or ALIVEで、Kzyはディアハーツと自分を叩き落したYAMATOを率先して助け出すと、その後のキングオブゲートにおいて印象的な働きを見せました。
ヴェルセルクのリーダー、鷹木信悟から歴史的な勝利を収めたのです。
Kzyはもう横道に佇んでいる存在ではありませんでした。
彼は努力と意思の力によってヒール時代の情けないイメージを払拭しました。








その1はコチラ→Kzy Story Vol.1



その3はコチラ→Kzy Story Vol.3




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