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ドラゲーライヴ Vol.1

ドラゲーメインのプロレス観戦記ブログです。

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ライジングスター戸澤陽

アメリカのプロレス記者による海外遠征中の戸澤に関する記事があったので、ちょっと長めになりますがそちらを和訳して紹介しておきます。
原文はこちら。
「Dragon Gate's Akira Tozawa, Wrestling's Fastest Rising Star?」
110519tozawa.jpg










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最近アメリカのインディープロレス団体で戸澤陽という名前がよく見られます。
戸澤がアメリカに来て1年になります。
そこで彼は人気のあるインディー団体を渡り歩き、計り知れない経験を積み、あっという間にプロレス界の最も輝くヤングスターの一人になりました。


戸澤は2005年にドラゴンゲートの道場を卒業し、若手時代はドラゴンゲートを主戦場とし、多少の成功を納めました。
彼の日本の若手時代でのハイライトは、おそらく大野勇樹と一緒にメタボリックブラザーズを結成したときでしょう。
その後、彼はようやく鷹木信悟のユニット・KAMIKAZEのメンバーとなり、そしてDGUSAでKAMIKAZE-USAとしてのデビューに至ります。


2010年5月、戸澤は公式に海外遠征へと乗り出し、カナダで開催されたDGUSAに参戦しました。
DGUSAでの彼のデビューはタッグマッチで、グラン・アクマと組みマイク・クアッケンブッシュ&ジグソー組と対戦し、その翌日はドラゴンゲートのトップスターの一人、望月成晃と対戦しました。
これらの試合は優れたパフォーマンスでショーの中でも一際輝き、アメリカとカナダのファンは戸澤の可能性を初めて知ることとなりました。


それ以来戸澤はDGUSAのレギュラーとなりました。
彼はKAMIKAZE-USAで2010年の大半を過ごしますが、1月に行われたUNITED GATEでジョン・モクスレーにより突然ブートをくらわされ追放されました。
参考動画:DGUSA.tv - Kamikaze USA confronts Tozawa



しかし、このUNITED GATE3連戦で彼はサミ・キャリハン、オースチン・エイリース、B×Bハルクから勝利を収め、団体の主要人物としての評価を確立させた事により、彼の経歴の中で最も重要なウィークエンドになりました。
その結果、戸澤はKAMIKAZE-USAを追い出されてから、団体の顔と言われるようになりました。
Mercury Risingで行われたPACとのブレイブゲート選手権試合は、レッスルマニアウィークエンドに行われた試合の中でも最高の試合の1つでした。
その翌晩に行われたOpen the Ultimate Gate 2011で、戸澤はYAMATOの持つフリーダムゲート王座に挑戦しました。
挑戦は失敗だったにも関わらず試合は素晴らしかったと伝えられ、戸澤はDGUSAのメインイベントレベルに達することになりました。


戸澤はDGUSAをホームとする一方で、南カリフォルニアのPWGにも参戦し、多くの時間を過ごしました。
PWGファンは戸澤を受け入れ、最近のレスラーの中で最も輝いてる一人であると認めました。
リングでの彼の強さは常に超一流です、また、戸澤が試合に笑いの部分を持ってくる時、彼は輝いています。
彼がハッスルした事は、American Legion Hallでの試合で伝説となりました。


戸澤のキャリアの中で最も語られる試合は、去年のBOLAで行われたクリス・ヒーロー戦でした。
彼がアメリカで主導権を握った試合を1試合あげるとするならば、この試合がそうでしょう。
戸澤はまたケビン・スティーンと12月に行われたPWGのCyanide: A Loving Tribute to Poisonで素晴らしい試合を行いました。
彼は再びコメディースキルと残忍性で輝き、また、自分より巨大なケビン・スティーンに見事なジャーマンスープレックスを決めたことで観客の目を釘付けにしました。


その試合以降、スティーンと戸澤は相互に敬意を抱き、2人はNightmare Violence Connectionと呼ばれるようになり、ここ数ヶ月の間にPWGのファンの間で信じられないほどの人気を誇っています。
スティーンと戸澤は今のところ最後のタッグを組み、PWGのAll Star Weekend 8でRockNES Monstersと対戦します。
彼はまもなく日本のドラゴンゲートに戻ることとなり、今年のAll Star Weekend 8は戸澤のPWGでの最後の2試合となります。
一日目に戸澤はROHヘビー級王者のエディ・エドワーズと試合が組まれており、その試合は必ずやマッチ・オブ・ザ・イヤーの候補となるでしょう。


DGUSAとPWGで戦うだけでなく、”Mr.ハイテンション”はCHIKARAにも参戦しており、EVOLVE初のiPPVでは負けてしまったもののチャック・テイラーとの熱い試合でEVOLVEデビューを果たしました。
戸澤は今年のCHIKARAのキング・オブ・トリオスでオシリアン・ポータルに敗れますが、チーム・ドラゴンゲートを2回戦に導きました。
キング・オブ・トリオス3日目にはエディ・キングストンのオープンチャレンジに挑みましたが、"The War King"(エディ・キングストンのニックネーム)の犠牲となってしまいます。


日本への彼の帰還は差し迫っています、そして彼が昨年アメリカのほとんどのインディーシーンで残した存在感は消えてしまいます。
残された可能性は、ドラゴンゲートがDGUSAとEVOLVEのROSTERに彼の名前を残しておくことです。
50数週間前、日本からのあまり知られていない輸出品だった戸澤はインディーシーンで最も熱く、そして需要のある選手の一人となりました。
彼はその間、レスラーとして、そしてパフォーマーとして成長しました。
それは彼の母国で彼の株がきっと上昇していることを意味しています。
2010年、戸澤陽の進化を見るのは本当に楽しみでした。
彼の進化は早く、ほとんど全てのパフォーマンスで楽しませ、そして感動させてくれました。
彼が一年間の海外修行を総括するならば、それは成功であるとしか言えません。
戸澤は西半球で365日過ごして、より素晴らしいレスラーとなり、西半球のインディープロレスシーンも戸澤がいることでより面白くなりました。
ウィンウィンだと言えるでしょう。

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先に書いておきますが、戸澤が日本に帰ってくる云々はこの記者が書いていることであり、団体側からの発表は当然まだありませんし、一ファンには知る由もありません。
しかしPWGのAll Star WeekendのページにはAkira Tozawa's Final Matchと書かれていることから帰国の可能性は高いのかもしれません。
まあ、この辺りは団体側の発表を待つしかないんですが…。


ただ、アメリカのインディーシーンでAkira Tozawaという名前が知れ渡っているのは事実であり、試合内容でも高い評価をされてるのは昨年クリス・ヒーロー戦がベストバウト部門の5位に入ったWrestling Observer Awards2010でも実証済み。
このままアメリカで活躍を続けていけばWWE、TNAというメジャー団体に上がる可能性が全くないとは誰も断言できないでしょう。
しかし日本のファンとしては、ここまで大きく成長した戸澤を日本のマットで見てみたいという気持ちも強くあります。
日本では色々と試行錯誤していたことが見ている方にも伝わってきましたが、アメリカで戸澤の才能が開花したと言っても差し支えないのかもしれません。
デビュー当時はフジイさんに痛めつけられていた戸澤が、まさかここまで大きくなるとはという驚きとうれしさ。
帰国するときは素晴らしい実績を引っさげての堂々たる凱旋帰国になるでしょう。
その日を心待ちにしながら週末はKING OF GATE決勝戦を楽しむとしましょうか。




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