ドラゲーライヴ Vol.1

ドラゲーメインのプロレス観戦記ブログです。

我道驀進:鷹木信悟のフリー転向にあたって

以前KzyのコラムをアップしたVoices of Wrestlingで信悟のフリー転向について書かれていたため、前回同様和訳して紹介します。









「Going His Own Way: Shingo Takagi Leaves Dragon Gate」(Voices of Wrestling)


Ben-Kがマキシマムを裏切りアンチアスに加入した9月6日の後楽園ホール大会終了後、鷹木信悟は10月7日の博多スターレーン大会をもって会社を離れフリーランスとなることを発表しました。
これは2004年に悪冠一色が離脱して以来の最も驚くべきニュースです。



ここ数年、彼はより自由なスケジュールと国内や海外のプロモーションで試合をする機会を求めていました。
これは突然の出来事ではありません。
ここ数年大日本にレギュラーゲストとして参戦し、2006年にはROHに参戦、2009年には16 Carat Goldで優勝、そして今年はチャンピオンカーニバルにも出場し、来週からのBOLAにも参戦することが決定しています。



木戸社長の発表によると、彼は2年前からフリーランスとなることを望んでいました。
OWEとドラゴンゲートエンターテイメントが分社されるまでは困難でしたが、新体制になったことでこの選択が可能となりました。
彼は将来ドラゴンゲートのリングに登場する可能性を残すと共に、次のフリーランスとしての人生に興奮しています。



信悟がドラゴンゲートのロスターとして最後に試合をするのが博多スターレーンだということは注目に値します。
彼のデビュー戦は2004年10月3日に同じ場所で行われ、キャリアの初期はCIMAの秘蔵っ子であると同時にクレイジーマックスの最後のメンバーとなったことで、CIMAと密接に関わっていました。
CIMAとの関係はドラゴンゲートでのキャリアを通して続けられ、ブラッドジェネレーションの創設メンバーにもなりました。
その後、同期であり最大のライバルであるB×Bハルクと共にニューハザードを結成しました。



ブラッドジェネレーション時代、信悟は国際的に名前を売ることになりました。
2006年と2007年前半にはドラゴンゲートと交流関係にあったROHとFIPに参戦し、ROHでは土井成樹と共にタッグ王座を獲得しました。
また2007年のBOLAにも参戦しています。



2008年に入ると、信悟はドラゴンゲートの次世代のエースとなります。
彼はリアルハザードを結成すると、B×Bハルクとの長年のライバルストーリーをスタートさせます。
ドリームゲート次期挑戦者決定戦では1時間フルタイムドローとなる試合を展開し、神戸ワールド記念ホールでは勝者がCIMAの持つベルトに挑戦する予定でしたが、CIMAは首の負傷により欠場を余儀なくされます。

「ドラゴンゲート1期生~6.29 大阪大会~」(当ブログ過去記事)



そのため神戸ワールドでは鷹木信悟対B×Bハルクの王座決定戦が行われ、信悟がドリームゲート王者となりました。



ここで信悟とドラゴンゲート、そしてファンとの関係について説明する必要があります。
ファンが求める型にハマったレスラーだったハルクと異なり、信悟はむしろ丸い穴に四角いブロックをはめ込んだようなレスラーでした。
2008年7月に彼はヒールとして最初のドリームゲート王者となりました。
この時既にドラゴンゲートは彼をフェイスに変えるつもりでした。
(それは試合後にリアルハザードから追放されることで行われた)

「現在進行形~7.27 プロレスフェスティバル2008 神戸ワールド記念ホール大会~」(当ブログ過去記事)


CIMAの負傷により彼はタイフーンに加入することになりましたが、彼はこの準備が出来ておらず、彼にファンは付いてきませんでした。



ドラゴンゲートファンとの関係をなおさら複雑にしたのは2009年のコラスキャンダルでした。
以前CIMAが所有していたペットのサルはロスターメンバーのブログで虐待されていることが明らかとなりました。
この事件の真実は未だにハッキリしませんが、彼はこの事件に直接関わっていました。
頭を丸めて給料を返上しましたが、彼の評判は変わってしまいました。
これが会社における彼の立場に影響を与えたとは言及されていませんが、彼のキャリアはその後数年でどん底を迎えることになります。
彼に対するファンのリアクションは否定的であり、その事件以来、彼は決してスーパーフェイスになることはありませんでした。



ドラゴンゲートのロスターとして最も輝いた瞬間は三度目のドリームゲート王者になった時でした。
彼はリアルハザード以来となる新鮮なヒールターンでヴェルセルクを引っ張ると、高校の番長のようなキャラクターとなり、ドラゴンゲートファンはブーイングを飛ばしました。
リングではCIMA、ジミーススム、望月成晃と名勝負を繰り広げ、団体最強の支配者であることを証明してきましたが、ジミーススムから取り返したベルトは、2016年の神戸ワールド記念ホール大会で元盟友のYAMATOに敗れ失うことになってしまいました。



これにより信悟は2015~16年以前の状態に戻ってしまいました。
フリーランスになることを考え始めたのであればこの時でしょう。
団体における親友の一人である戸澤陽が卒業し、彼は関本大介や岡林裕二との関係を築き始めました。
今年初めにはヴェルセルクの若い選手であるT-Hawk、Eita、エル・リンダマンにリーダーシップを取らせようと考えましたが、T-Hawkとリンダマンの離脱によりそれは失敗に終わってしまいました。
これにより、彼はアンチアスを引き継がざるを得ませんでした。
これは無意味なヒールユニットであり、彼が団体を離れた後に作り直されることになります。



フリーランスとなった信悟の未来は明るいように見えます。
彼は既に全日本や大日本との関係を築いており、またアメリカでの需要もあります。
かつての16 Carat Gold優勝者としてヨーロッパに行くことも出来るでしょう。



ドラゴンゲートが5月にCIMAを失ったことは東京と神戸ワールドでの減少した集客数と大きく関わってきました。
会社が最高の収益を出したと主張していたとしても、神戸では人を惹きつけることが出来ませんでした。
当然の疑問としては「鷹木信悟の離脱は会社にとって大きな損失か?」ということです。
前述のとおり、信悟は団体で一番人気のある選手ではありません。
私がビッグ6(現世代6人のこと)をランクするなら、信悟は戸澤の下でハルクの上に置きます。
チケットの売れ行きに影響がないとは言いませんが、日々のショーにそれが直結するとは思えません。
これは10月から12月の観客数の変化を調べる必要があるでしょう。



信悟がフリーランスとなることでドラゴンゲートはどうなるでしょうか。
2000年に全日本やノアが落ち込んだように、ドラゴンゲートもそうなると決めつけるのは時期尚早だと思います。
ドラゴンゲートにとどまらず、国内外のカンパニーは次世代のスターを作り出すことに苦労しています。
木戸社長や吉野正人は会社を安定させなければ、2018年以上に会社の状況は悪化してしまうことでしょう。



ドラゴンゲートの最大の損失はレスラーとしての鷹木信悟を失ってしまったことです。
団体のベストバウトの多くは彼が担っていました。
おそらくCIMAのシングルマッチにおけるベストバウトは、2015年のファイナルゲートで行われた鷹木信悟戦だと思います。
信悟のことが人間的に嫌いな人であっても「私は彼が嫌いだが、試合を支配していたのは彼だった」と言ったことでしょう。
しかしもはや鷹木信悟は居ません。

「時代は進む~12.27 福岡・福岡国際センター THE FINAL GATE2015~」(当ブログ過去記事)





信悟の最新のキャラクターは非常にユニークなものでした。
好感度や関係性を重視している会社においてミスター自己中となり、友情ごっこに飽き飽きしていた観客と共鳴することになりました。
新しいトップヒールとなるEita、ビッグR清水、Ben-Kはこの空白を埋めるために新たな何かを行う必要があります。
ドラゴンゲートで鷹木信悟の代役を務めることなど誰にも出来ませんが、2018年に彼やCIMAを始めとして離脱者が続出したことで、逆に新たな才能が生みだされることを期待します。



(終わり)








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