ドラゴンゲートの最長寿ユニットはどこ? 一昨日の後楽園ホールで行われたWORLD-1対ディープ・ドランカーズの敗者ユニット解散マッチ。 一応勝利した形のWORLD-1は2008年6月に結成し、結成期間は10月時点で2年5ヶ月となり現在あるユニットの中では最古参。 土井ちゃんからは「もう賞味期限切れや」と言われてしまったけど、展開が早いと言われているドラゴンゲートのユニットの中で一番長く続いたユニットはどこ? ※結成時期や解散時期が微妙なものは管理人の主観で判断してます。 明確なラストマッチとかがないものはカッコ書きで補足しています。 ウィキペディアをコピペしただけとかは言わないように(笑) (結成期間は2010年1月~2010年12月までなら1年、2010年1月~2011年1月までなら1年1ヶ月として計算してます。) 《Final M2K》 2004年7月、闘龍門最後の神戸ワールドでもっちーの試合後、当時長期欠場中だったクネスがスカジャンを手にもっちーにユニット結成を促したことで結成される。 最初のメンバーはもっちー、享、クネス、アラケン、セカンド土井の5人。 実力派の揃ったユニットとして期待されるも、中々結果を出すことがなかったユニット。 特に初代トライアングルゲート王者を決める為に行われたRey de Parejasでは、もっちー&享&クネスでエントリーし大本命に上げられるも優勝することは出来ず。 その後2005年にセカンド土井が裏切りブラッドジェネレーションへ加入。 リーダーだったもっちーは2006年にリーダーの座を享に譲ると、状態の良くなかったクネスも現場監督となりユニットを脱退。 ほとんどユニットの体をなさなくなったFinal M2Kは2007年1月にラストマッチを行い解散。 一応結成期間は2004年7月~2007年1月の2年7ヶ月だが、実際は2006年後半にはフェードアウトしてたといっていい。 《ブラッド・ジェネレーション》 CIMA、フジイ、土井、信悟が2005年1月の後楽園ホール大会で結成。 そこから吉野、岸和田が加入して当時のドラゲーマットを席巻。 しかしGammaが加入してからはCIMAとの確執もあり、2006年4月の後楽園ホール大会でブラッド・ジェネレーション(CIMA派)とマッスル・アウトローズ(Gamma派)に分裂。 そこからしばらくはCIMAが中心となって国際派集団として活動していたものの、ブラッドとしてはマッスルと分裂した時点で終わった感が強い。 ウィキペディアではマッスルとの分裂までを第1次ブラッド、そこから解散までを第2次ブラッドとしてる。 実働期間は2005年1月~ファイナルマッチを行った2007年1月で計算すれば2年1ヶ月だけど、第1次ブラッドとしては2005年1月~2006年4月までの1年4ヶ月。 《タイフーン》 ブラッド・ジェネレーションを解散したCIMAが作った新ユニット。 結成は2007年1月?(ユニット名発表は2007年3月) CIMA、享、斎了といったドリームゲート経験者が揃ったユニット。 最大時は上記の3人に加えてキッド、ハルク、王子、マット・サイダルが在籍。 しかしマッスルアウトローズとの7人タッグの後、ハルクは信悟らとNEW HAZARDを結成し退団。 その後CIMAが首のケガで戦線を離脱するものの、2008年の神戸ワールドでリアルハザードから追放された信悟が加入。 しかし信悟は享とのドリームゲート戦の後ユニットを離脱。 残された享、斎了、キッドは12月福岡国際センターでの敗戦ユニット解散マッチに敗れて解散となる。 実働期間は2007年1月~2008年12月までの丸2年。 《マッスル・アウトローズ》 CIMA中心だったブラッド・ジェネレーションから、土井、吉野、谷嵜、Gammaが分裂して作ったユニット。 結成は2006年4月。 以降玉金やサイバーコング、堀口、神田、谷嵜、YAMATOらが加入。 しかし次第にベビー属性の土井吉とGamma達との確執が表面化し、2008年5月の愛知県体育館大会で土井吉とGamma派は決別。 同月の後楽園ホール大会でNEW HAZARDだった信悟とサイバーがマッスルに加入し、ユニット名ををリアルハザードと改める。 実働期間は2006年4月~2008年5月の2年2ヶ月。 ちなみにドラゲーになってから自分が好きだったユニットはこのマッスル・アウトローズ。 以前は携帯の着信もIDIOT OUTLAWに設定してました。 このブログ名もマッスル・アウトローズ自主興行のマッスルライヴVol.1から取ってます。 《NEW HAZARD》 ドラゴンゲート世代の信悟、ハルク、サイバー、YAMATOで結成されたユニット。 結成はタイフーン対マッスルの7対7が行われた2007年4月の後楽園ホール。 闘龍門世代が居ないユニットとして新時代を予感させたものの、YAMATOとハルクの間でイザコザが起こりYAMATOはマッスルアウトローズへ。 さらに2008年5月の後楽園ホールでハルクのダンス中に、信悟とサイバーがハルクを襲いユニットから追放する。 そして土井吉が抜けたマッスル・アウトローズと結託し、新たにリアルハザードを結成した事でNEW HAZARDは消滅。 実働期間は2007年4月~2008年5月の1年2ヶ月。 《リアルハザード》 信悟とサイバーがマッスルアウトローズと結託して作られたヒールユニット。 結成は2008年5月後楽園ホール。 初期のメンバーは信悟、サイバー、YAMATO、Gamma、元気、神田。 しかし信悟は同年7月の神戸ワールドで行われたハルクとのドリームゲート戦の試合後にユニットを追放される。 その後はアラケンや斎了らが加入となり史上最多人数を誇るユニットとなるも、2010年に入ると享、クネス、元気とアラケン、神田らが対立。 クネスカと元気がユニットを離脱すると、2010年3月の後楽園ホールで新ユニット名ディープ・ドランカーズを発表。 実働期間は2008年5月~2010年3月の1年11ヶ月。 《戸澤塾》 現在アメリカ遠征中の戸澤が結成したユニット。 結成は2006年4月の後楽園ホール。 その日第4試合で行われたストーカー市川対フロリダブラザーズの敗者キャラクター剥奪マッチで負けた岩佐の元に現れた戸澤は学ランを手渡して戸澤塾入りを促す。 その後お笑いユニットのような扱いで始まったユニットだったが、2007年にアラケンが加入すると新岩タッグが大ブレイク。 IJタッグを獲得すると、その後はエル・ジェネリコや忍も加入。 しかし2008年11月の大阪府立体育会館第1競技場大会で、当時トライアングル王者だったもっちー、フジイ、岸和田の絶倫トリオとトライアングルコントラ解散マッチを行い敗戦した事で全員戸澤塾卒業となる。 実働期間は2006年4月~2008年11月の2年8ヶ月。 《PoS.HEARTS》 マグナムがプロデュースして作られたユニット。 メンバーは王子、当時新人だったハルク、シーサーの3人で結成は2005年3月。 シーサーにとっては初のユニット所属となるが、他のユニットとの力関係は分が悪く、史上最弱ユニットと言われることも。 2006年からはそれぞれの個人活動が目立つ。(王子は森隆幸として戸澤塾へ、ハルクはCIMAとBlood Hearts結成、シーサーはBOYとシーサーズ) そして2007年2月にマッスルアウトローズと解散コントラトライアングルを行い敗戦し解散。 実働期間は2005年3月~2007年2月の2年。 《ディープ・ドランカーズ》 結成は2010年3月で2010年10月に解散。 実働期間は8ヶ月。 以下は、現時点存在してるWORLD-1以外のユニット。 《KAMIKAZE》 結成は2009年1月。 現在のところユニット結成から1年10ヶ月経過。 《WARRIORS(WARRIORS-5)》 結成は2009年3月。 現在のところユニット結成から1年8ヶ月経過。 というわけで、ユニットの実働期間が長い順に並べてみると 第1位 戸澤塾 2年8ヶ月 第2位 Final M2K 2年7ヶ月 第3位 マッスル・アウトローズ 2年2ヶ月 第4位 ブラッド・ジェネレーション 2年1ヶ月 第5位 PoS.HEARTS 2年 第5位 タイフーン 2年 第7位 リアルハザード 1年11ヶ月 第8位 NEW HAZARD 1年2ヶ月 第9位 ディープ・ドランカーズ 8ヶ月 ドラゴンゲートになってからだと一番の長寿ユニットは戸澤塾だったというのがちょっと意外。 でも今回各ユニットをそれぞれ書き出してみると、結成から解散までの流れで一番いいのが戸澤塾になりそう。 ほとんどのユニットが尻すぼみで終わってる中、発展的解散をしたユニットだし。 今回WORLD-1が解散マッチに勝利したので、戸澤塾の記録2年8ヶ月を上回る事が出来るのか。 それとも来年には「WORLD-1は実質10月の後楽園ホールで終わってたよなぁ。」と言われてしまうのか。 ちなみに闘龍門時代を入れると、最長ユニットはやはりというべきか頭ヒトツ抜けてクレイジーMAX。 《CRAZY-MAX》 逆上陸を前にみちのくに参戦した1998年7月~2004年11月の6年5ヶ月。 闘龍門旗揚げ(1999年1月)~だと5年11ヶ月となる。 《初代M2K》 2000年4月~2002年10月(Do Fixer結成時)の2年7ヶ月。 《新M2K》 2003年1月~2003年12月の丸1年。 《Do Fixer》 2002年10月~2007年1月(斎了が元気に裏切られた時)の4年4ヶ月。 《イタリアン・コネクション》 2002年3月~2005年3月(YOSSINOがブラッド加入を表明した時)の3年1ヶ月。 《悪冠一色》 (はぐれ軍団(仮)時代を含む) 2003年8月(6人タッグ4way終了時にドッティとブラザーがイタコネを離脱)~2004年12月(解雇)の1年5ヶ月。 PR