ミラノコレクションA.T.引退… 週末から昨日にかけてドラゲーはバタバタしてたので、アップしようしようと思ってたけど出来なかったミラノコレクションA.T.引退について。 ミラノの引退の理由や今後の進路に関しては、新日本公式サイト等を見て頂くとして、ここでは闘龍門及びドラゲー時代のミラノの経歴をざっと駆け足で紹介。 「ミラノコレクションA.T.選手が引退を発表」(新日本プロレス公式サイト) 「ミラノ選手の引退会見後の囲みコメント」(新日本プロレス公式サイト) 2001年11月にミラノはT2Pリーダーとして日本マット逆上陸を果たす。 当時のミラノは斎了を子供扱いするなど、強くてそして憎たらしい存在。 その後ミラノはフジイさんとミケーレを巡る抗争を経て、2002年9月の有明コロシアム大会でCIMAからA.T.ロックでタップを奪いUWA世界6人タッグ王座を奪取。 しかしJAPAN対T2Pの対抗戦で、2002年12月にミラノはCIMAとインターナショナルライトヘビーのタイトルマッチを行い敗戦。 これによりT2Pは解散へ。 そしてミラノは闘龍門JAPANのリングへ主戦場を移す。 2003年1月に日本人宣言。 2003年8月にプロレス史上初の6人タッグ4wayマッチが行われると、ミラノはマグナムをA.T.ロックで下すなど華々しい活躍を見せる。 そしてRey de Parejasタッグリーグにミラノはマグナムとともに出場。 しかしこの2人が相容れることはなく予選リーグ最終戦にミラノはマグナムを攻撃して、マグナムの持つUDG王座挑戦をアピール。 そして2003年12月にマグナム対ミラノのUDG選手権試合が行われるわけだが、個人的にこのタイトルマッチは闘龍門の歴史の中でもトップ3に入るくらい素晴らしかった。 憧れの選手だったマグナムに対して今まで培ってきたジャベで締め上げるミラノと、ミラノの技を受けきった上で絶縁からのAVスタープレスで勝ったマグナム。 試合後のリングで上がらない腕を押さえて踊りきるマグナムと、バックステージで泣きながらコメントを出すミラノの対比がまた感動を誘ったなぁ。 負けてしまったとはいえ、この試合がミラノコレクションA.T.の闘龍門でのベストバウトだったのでは。 ------------------------------------ 闘龍門JAPAN~2003.12.16 LA ULTIMA CAIDA~ メインイベント UDG選手権試合 ○マグナムTOKYO(AVスタープレス)ミラノコレクションA.T.× ------------------------------------ その後、2004年に闘龍門からドラゴンゲートに変わってからは、イタリア革命を起こすと宣言し新技・IRを引っさげてRey de Parejasを優勝しオープン・ザ・トライアングルゲート初代王者となるが、それ以降はケガの影響もありベルトを返上。 そして2005年4月にドラゴンゲートを退団する。 ミラノの実績から言えば、シングルのベルトをもっと巻いててもおかしくなかったんだけどね。 インターナショナルライトヘビーのベルトは巻いてたけど、闘龍門(ドラゲー)ではUDG(ドリームゲート)を巻くことはなかった。 新日本でもBOSJは優勝しても、IWGPジュニアは巻けず。 実績やオーラは申し分無いんだけど、大一番に弱いイメージがあったかな。 ドリームゲートの挑戦者決定戦で斎了に負けたり、キーハンティング4wayマッチでは最初に脱落したり、エルヌメロウノでは決勝トーナメント1回戦で負けてしまったりと。 闘龍門の年間最大のイベントである神戸ワールド記念ホール大会では、第1試合を2回行っただけ。 闘龍門の第1試合というのは前座試合という概念では無いし、色々な巡り合わせもあるだろうけど、当時4巨頭体制だった闘龍門の中でCIMAやマグナム、もっちーはメインで王座戦を行っていたことから考えると寂しすぎるかな。 しかし入場から試合まで華麗な姿でファンを楽しませてくれたことは紛れもない事実。 出来ればミラノ対吉野正人を最後に一度見たかったなぁ。 ミラノがこれからどんな道に進むのか分からないけど、どの道へ進んでもソツなくこなす気がする。 10年間の現役生活お疲れ様でした。 PR